「10棟以上のタワマン建設」北品川再開発の中身と計画反対に動き出す住民たち

まだ昔ながらの風情が残る北品川駅周辺で13ヘクタールに及ぶ再開発計画が進もうとしている。これに対して10に及ぶ住民団体が立ち上がり――果たしてこの巨大な再開発計画ゆくえは…

山下努2024/10/22

失われる風光明媚な品川の風情

「品川 日乃出」 歌川広重 『東海道五十三次/品川 日乃出 』

中世の品川は「品川湊」といわれ、海辺の品川洲崎と、それを望む武蔵野台地といった船の寄りつきに適した地形で、武蔵野国の主要な港湾として諸国からの荷船で賑わい、問屋が軒を連ねた。
近世の江戸時代になると「品川浦」は江戸の周辺の4つの宿場なかでも最大の宿場町だった。加えて、潮干狩りや花見、花街といった観光と行楽の場として、また東海道五十三次の最初の宿場町として賑わいを見せた、という。

また、江戸城に海産物を献上した最寄りの漁村としても有名だった。品川浦に向かう横丁は「浜道」と呼ばれ、恵まれた海の間近にあることが住民の誇りとされた。
一方、旧東海道近くには「なぎさ通り」という道があり、江戸時代にはそこが品川浦に接して海岸線で、打ち寄せる波と、街道筋の松並木が潮風にそよいでいた。それも昔の話でいまではその海岸線が埋めたてられ、高層建築に建ち並ぶ。

現在は商店街になっている旧東海道

山手側の御殿山から望む景色は間近に海を眺められる風光明媚な場所だ。そんな地域のためデベロッパーから見れば、歴史ある品川浦の景色を売り物にできる絶好の立地と思われて来た。しかも、品川区は再開発に対する反対運動が弱いため、開発する側にとっては好都合な地域といえる。

2024年度末には計画取りまとめ

品川区にとっては、山手線などの大崎駅周辺の再開発をしてしまったため、まとまった広い土地はもうこの品川浦エリアにしかないようだ。すでに再開発を前提に、住民のほとんどが引っ越し、主に高齢者が住む都営住宅を中心にひと気のない集合住宅が建ち並ぶ。なかにはそれほどに古くは見えず、まだまだ住めそうな建物もある。とはいえ、こうした住宅に住むのは生活弱者で、地元区議が動いて8月に開かれた区との再開発計画の説明会で出た話は、住民たちにとって聞いて驚くことばかりだった。

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この記事を書いた人

山下努

山下努経済アナリスト

元朝日新聞経済記者、英字新聞「ヘラルド・トリビューン朝日」記者。不動産など資本市場の分析と世代会計、文化財保護に高い関心持ち、執筆活動を行っている。『不動産絶望未来』(東洋経済新報社)などペンネーム・共著含め著書多数。

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