銀座・数寄屋橋の攻防(2) 数寄屋橋のビル開発に刻まれた進出企業の栄枯盛衰

変化を繰り返してきた銀座・数寄屋橋交差点。業界の一部では「数寄屋橋の呪い」といわれる歴史があった。そこで繰り広げられてきた電機メーカーの栄枯盛衰の攻防戦とは。

山下努2024/09/11

銀座・数寄屋橋の攻防(2) 数寄屋橋のビル開発に刻まれた進出企業の栄枯盛衰
  • 東急不動産から三井住友トラスト・パナソニックファイナンスに売却された「東急プラザ銀座」
  • 結局、オーナー企業が電機メーカー系に戻った「東急プラザ銀座」
  • ファストファッションから、牛丼チェーン、ドラッグストアが建ち並ぶ「銀座」の銀座ブランド


東急不動産も祟られた?「数寄屋橋の呪い」

東急プラザの銀座の交差点角地は、業界の一部では「数寄屋橋の呪い」とも一部でいわれる立地店の歴史について紹介しよう。

東急不動産は、この地を東芝(旧東芝TSビル)から買収したものの、TSビルの入っていた各店舗が阪急系のモザイク状態になっており、退去をめぐって阪急側と東急が法的にもめた。このため、東急プラザ銀座の立ち上げにコストと時間がかかった。
ちなみに、東芝の銀座TSビルは銀座東芝ビルと名乗る前は「マツダビルディング」という名前だった。「マツダ」というのは白熱電球などに用いられた米国GEの商標の「マツダランプ」で、東芝の電球の呼称だった。
話はそれるが、マツダといえば、いまは自動車メーカーがまず思い浮かぶ。社名は創業者の松田重次郎に由来するが、英語表記の「Mazda」はゾロアスター教(拝火教)の最高神である光明神(善神/アフラ=マズダ)にちなんで付けられたものである。また、戦前は「Mazda」というと車ではなく、大正時代はライセンス生産されたランプのほうが有名で、その名のほうが全国に知られていた。

東急不動産は、そんな歴史のある東芝TSビルを07年に1600億円あまりでなんとか買収を完了した。
東急不動産の銀座進出に際しては、経営トップは「本拠の渋谷と銀座の二眼レフ体制の経営となる」と高らかに宣言していたが、いまや渋谷の東急ハンズもホームセンター最大手のカインズに売却されてしまった。
東急プラザ銀座でいえば、上層階のロッテの免税店がコロナ禍で不振となり、誘致した有名ブランドも銀座シックスや銀座中央通り、銀座並木通りの個店と客の奪い合いになっていった。

1 2 3

この記事を書いた人

山下努

山下努経済アナリスト

元朝日新聞経済記者、英字新聞「ヘラルド・トリビューン朝日」記者。不動産など資本市場の分析と世代会計、文化財保護に高い関心持ち、執筆活動を行っている。『不動産絶望未来』(東洋経済新報社)などペンネーム・共著含め著書多数。

※このサイトは「事業再構築補助金」を活用しています