銀座・数寄屋橋の攻防(2) 数寄屋橋のビル開発に刻まれた進出企業の栄枯盛衰

変化を繰り返してきた銀座・数寄屋橋交差点。業界の一部では「数寄屋橋の呪い」といわれる歴史があった。そこで繰り広げられてきた電機メーカーの栄枯盛衰の攻防戦とは。

山下努2024/09/11

銀座の数寄屋橋交差点の風景。正面のビルが東急プラザ銀座

紆余曲折がありながら、やっと手に入れオープンさせた東急プラザ銀座だったが、買収にあたっての躓きは大きく、16年3月の開業から6年の23年3月に東急不動産はギブアップ。東急プラザ銀座を三井住友トラスト・パナソニックファイナンスに売却を発表し、翌4月に売却した。
関係者によると、簿価は1200億円程度。東急不動産HDは、東急プラザ銀座関連で200億円超の減損処理をしている。

ただ東急不動産はいまもビルの運営管理などを手がけているものの、苦労して手に入れた不動産そのものは完全に手放し、店舗面積2.2万㎡を誇った東急不動産が鳴り物入りでオープンさせた旗艦店は、経営的には失敗だったといえる。

東芝→東急不動産→パナソニック――東急プラザの源流

東急プラザ銀座の買い手の源流をたどれば、旧パナソニックファイナンスとなる。同社は、新橋駅に近い汐留で03年に華々しく竣工した旧松下電工東京本社ビル(現在のパナソニック東京汐留ビル)という豪華なビルに入っていた。
ところが、松下電工を吸収したパナソニックが経営不振から同ビルを13年に三井住友ファイナンス&リース等に売却したが、現在は売却した持分を買い戻して、パナソニック東京本社が入居している。

旧松下電工といえば、「明るいナショナル」で知られた白熱電球や蛍光灯で有名だった。現在は蛍光灯もLEDに代わり、電球や蛍光灯はマイナーな存在になっている。
最近までリストラ続きのパナソニックだったが、現在は東急プラザ銀座において照明技術を演出しているのは旧松下電工のパナソニックである。

東急不動産に1600億円余りで東芝TSビルを売った東芝も、その後、原発関連企業の米ウエスティングハウス社の買収などをはじめ原発から主力の電気事業まで経営難が続き、銀座で得た資金も流出してしまったのであろう。
銀座4丁目交差点は、三越、和光、三愛、日産ギャラリ(現NISSAN CROSSING)と不動だ。しかし、数寄屋橋交差点は、いまではソニービルも「Sony Park」に変わっており、日本の電機メーカーによる買収、経営の攻防が刻まれた商業地なのである。

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山下努

山下努経済アナリスト

元朝日新聞経済記者、英字新聞「ヘラルド・トリビューン朝日」記者。不動産など資本市場の分析と世代会計、文化財保護に高い関心持ち、執筆活動を行っている。『不動産絶望未来』(東洋経済新報社)などペンネーム・共著含め著書多数。

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