銀座・数寄屋橋の攻防(2) 数寄屋橋のビル開発に刻まれた進出企業の栄枯盛衰

変化を繰り返してきた銀座・数寄屋橋交差点。業界の一部では「数寄屋橋の呪い」といわれる歴史があった。そこで繰り広げられてきた電機メーカーの栄枯盛衰の攻防戦とは。

山下努2024/09/11

変わる銀座、変わる「銀座ブランド」の意味

銀座・晴海通り路面の一等地は並ぶビルは1990年過ぎまで、銀行の支店が数多く立ち並んでいたが、バブルの後始末の不良債権処理のために都市銀行は合併し、銀座の支店群も一斉に大リストラされた。
その空いた部分に新しい商業ビルが建った。不況時代の銀座の一等地にはユニクロやZARAなどの内外のファストファッションが出店した。だが、GAPの撤退に見られるように、ファストファッションの競争も若者の雇用の流動化から厳しくなった。代わって、いまはインバウンドや富裕層を主な顧客としたハイブランドの店が群雄割拠している。
一方で、牛丼店、コンビニ、ドラッグストア、人気ラーメン店、道府県市のアンテナショップなど、これまでの銀座らしからぬ業種も急増中だ。そして、いま2階から上のフロアのビル需要を支えるのは、美容整形外科や審美歯科などクリニック系だ。
とくに銀座の場合は、美容整形に来る女性の年齢層が高めだという。お金のある熟女たちはやはり銀座を目指すのか。

もちろん、高級ブランドの勢いは衰えたわけではない。とくにルイ・ヴィトンの人気は相変わらずで、百貨店から新聞社まで誘致の声はひっきりなしのようだ。実際、並木通りにある北海道新聞社のビルを驚くべきアート風に丸ごと新築させて入居している。いまなお、銀座ブランドは強いのかハイブランドの多店舗展開が進んでいる。

ルイ・ヴィトン 銀座並木通り店

とはいえ、過去10年間に、国民の間の所得や資産の格差が鮮明になったように、銀座の店で扱う商品も凹凸感が大きくなった。海外高級ブランド店だけは確実に増え、円安で「安いニッポン」に味を占めた訪日客がブランド店でごった返す。

そうしたなか、高級ブランド店に割って入るのがブランド品買取店だ。こちらには日本人が溢れ、中古品を売るほうも買うほうも大人気のようだ。
高級ブランド店が建ち並ぶ銀座――その銀座ブランドは「安い日本」象徴になりつつあるのかもしれない。

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山下努

山下努経済アナリスト

元朝日新聞経済記者、英字新聞「ヘラルド・トリビューン朝日」記者。不動産など資本市場の分析と世代会計、文化財保護に高い関心持ち、執筆活動を行っている。『不動産絶望未来』(東洋経済新報社)などペンネーム・共著含め著書多数。

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