マクロ経済の潮流から日々の暮らしに寄り添うお金の話まで――複眼的な視点で「生活」と「ファイナンス」を読み解く実践的チーム。メンバーは、生活者のリアルを綴るライター、現場感覚を持つファイナンシャルプランナー、そして個人に最も近い立場でライフリスクと向き合う生命保険・損害保険の営業パーソン。異なる立場と経験から、単なる数字や制度にとどまらない“生きた情報”を発信している。
この記事でわかること
給与20万〜30万円なら在職老齢年金で減らされない理由
働く人と年金だけの人、年金にかかる税・保険料の差
70歳を過ぎてからさかのぼって受け取る「みなし増額」
在職中に増えた年金と繰り下げの関係
繰り下げで変わる75歳以降の医療費の窓口負担
繰り下げを決める前に確かめる4つの点
65歳を過ぎても働く人は多い。もはや当たり前になりつつある。
こうなると給与で生活費を賄えるなら、年金は繰り下げて増やせばいい。そう考えるのは自然だ。では給与が月20万円、25万円、30万円のとき、繰り下げの損得はどう変わるのか。
年金だけで暮らす単身者が70歳まで繰り下げると、税と社会保険料を引いた手取りの損益分岐は85.1歳だった。では働いている人を同じ物差しでみると、どうなるだろうか。
税と保険料は2026年度の水準で、全国平均に近い率を使った概算とし、65歳から69歳まで賞与なしで働いて厚生年金に加入し、70歳で退職する単身者を例にシミュレーションしてみよう。
“普通”に働いていても年金は減らされない
働きながら年金を受け取ると、在職老齢年金の仕組みで厚生年金が減らされることがある。その基準額は2026年度で月65万円で、給与(賞与を含む年収の12分の1)と厚生年金の月額の合計がこれを超えると、超えた分の半分が止まる。基礎年金は対象外だ。
この試算では厚生年金の月額が約8万9000円なので、給与20万円なら合計28万9000円、30万円でも38万9000円にとどまり、減額は起きない。
注意したいのは、給与が高くて減額される人だ。止められた分は、繰り下げても増額されない。この試算の年金額なら、賞与込みの月額でおよそ56万円を超えると減額が始まる。給与が月60万円なら年約23万6000円が止まり、その分は70歳まで待っても42%増にはならない。つまり厚生年金を繰り下げる効果が、それだけ削られる。
年金を足しても税金・社会保険料の負担は増えにくい
働いている間、健康保険は勤め先の保険に入り、保険料は給与額だけで決まる。年金を受け取っても、国民健康保険料のように上がることはない。年金を受け取って増えるのは、所得税と住民税、それに65歳以上が市区町村に納める介護保険料だ。
| 給与(月額) | 年金192万円を受け取ると増える負担 | 70歳繰下げの損益分岐(手取り) |
| 20万円 | 約12万1000円 | 85.0歳 |
| 25万円 | 約12万2000円 | 85.0歳 |
| 30万円 | 約10万9000円 | 85.1歳 |
| 働いていない | 約14万2000円 | 85.1歳 |
意外なことに、働いている人のほうが、年金にかかる負担は小さい。
退職して年金だけで暮らす人は、年金を受け取った時点で住民税がかかるようになり、国民健康保険料と介護保険料も上の段階に移る。内訳は住民税が約2万9000円、国民健康保険料が約4万5000円、介護保険料が約6万8000円の増加だ。介護保険料は、住民税非課税の最も低い段階から課税の段階へ移るので、4倍を超えることになってしまう。
働いている人はそれらがすでに給与で決まっている。
そのため給与20万円の人が年金192万円を受け取って増えるのは、住民税が約7万円、所得税が約3万6000円、介護保険料が約1万5000円だ。給与30万円の人は介護保険料がすでに同じ段階にあり、増えない。この給与水準なら所得税の税率は5%のままで、給与所得と年金所得の両方がある人には、所得金額調整控除(最大10万円)も付く。
結果として、70歳繰り下げの損益分岐は給与の額にかかわらず約85歳で、働いていない人とほとんど変わらない。給与と賞与を合わせて月50万円まで上がり、年金にかかる所得税の税率が上がる人でも、分岐は84.6歳と半年ほど早まるにとどまる。働くことそのものは、繰り下げを有利にも不利にもしない。変わるのは、65歳から70歳の生活費を年金なしで賄えるかどうかだ。繰り下げが向くかどうかは、むしろ損益分岐よりもこちらで決まる。
5年分16.8%増で一括受け取り
繰り下げは、65歳の時点で受給開始年齢を決めておく必要がない。請求しなければ待機が続き、66歳以後の好きな月に請求できる。
それこそ体調を崩したり仕事を辞めたりしたら、そこで請求すればいいだけのこと。働いている間は結論を先送りできることが、繰り下げのもう一つの利点だ。
70歳を過ぎてから、繰り下げを選ばずに65歳からの年金をさかのぼって受け取ることもできる。年金は5年で時効になるが、2023年4月からは「特例的な繰下げみなし増額制度」により、請求の5年前に繰り下げたものとみなして増額した年金を、5年分まとめて受け取れる。
65歳時点で年192万円の人が72歳で請求すると、67歳で繰り下げたとみなされて16.8%増え、年224万2560円の5年分、1121万2800円が一括で入る。ただ、この制度は80歳以降の請求には使えず、一括分は過去の年の所得になるので、税や保険料がさかのぼって変わることもある。
働いて増える分は増額されない

65歳以降も厚生年金に加入すると、その期間の分だけ年金が増える。2022年4月からは在職定時改定が始まり、毎年9月1日時点の加入記録で10月分から年金額が見直される。1年働くと、給与20万円で年約1万3000円、25万円で約1万7000円、30万円で約2万円増える。
65歳から受け取っていれば、この上乗せは翌年から順に効く。繰り下げている人には請求するときにまとめて加わるが、働いて増えた部分は増額の対象にはならない。繰り下げの増額は、あくまで65歳時点の年金額がベースになる。
60歳以降の厚生年金加入には、もう一つ別の効果がある。
基礎年金は20歳から60歳までの納付で決まるので、60歳以降に働いても増えない。ただ厚生年金の加入期間が通算480か月に満たない人は、経過的加算という形で、基礎年金に近い額が厚生年金に上乗せされる。国民年金の期間が長い人や未納がある人には、60歳以降に会社員として働くことが、その穴を埋める手段の一つになる。
75歳以降の窓口負担
損益分岐とは別に、繰り下げで年金収入が一定額を超えると、医療費の窓口負担が変わる。75歳以上の後期高齢者医療は原則1割だが、単身なら課税所得28万円以上で、年金収入とその他の所得の合計が200万円以上だと2割になる。
65歳時点で年192万円の人は1割にとどまるが、66歳へ1年繰り下げるだけで年金は208万1280円になり、200万円の線を越える。70歳まで繰り下げた272万6400円なら、課税所得の条件も大きく上回る。医療費がかさむ年齢になってから、窓口負担が倍になりうる。
しかし、このラインそのものも動きつつある。2割負担は2022年10月に始まり、外来の負担増を月3000円までに抑える配慮措置も2025年9月末で終わった。
2026年7月に閣議決定した骨太方針は、70歳以上の窓口負担を「年齢によらない真に公平な応能負担」へ見直すとし、負担割合の区切りとなる所得の見直しも含めて2026年末までに結論を出すとした。引き上げの時期はまだ決まっていないが、繰り下げで年金を増やすほど、見直しの対象に入りやすくなる。
年金が少ない人は、住民税の非課税の線にも気をつけたい。
65歳以上の単身者は、年金収入155万円以下(1級地)なら住民税がかからない。この線を越えると、介護保険料の段階や高額療養費の上限、自治体の各種減免がまとめて動く。
繰下げ受給を考える際の要チェックポイント
3回にわたって繰下げ受給について説明してきたが、繰り下げを決める前に必ず確かめておきたいことは以下の点だ。
・ねんきんネットで、基礎年金と厚生年金それぞれの額と、加入月数を確かめる。未納があれば、60〜65歳の任意加入を先に検討する
・年下の配偶者がいて加給年金の対象なら、繰り下げるのは基礎年金だけにする
・働くなら、給与(賞与込みの月額)と厚生年金の合計が月65万円を超えないかを確かめる。超えると、止められた分は繰り下げても増えない
・繰り下げた後の年金収入が、155万円(住民税非課税)、200万円(75歳以降の2割負担)、242万円(所得税の基礎控除が下がる線)のそれぞれどちら側に着地するかを見る
平均余命と生存率で期待値を出すと、手取りが最も多くなるのは男性で68歳前後、女性で70歳前後だった。とはいえ、これは平均の話で、64歳の人が90歳まで生きる割合は、男性で約3割、女性では5割を超える。
繰り下げが得か損かではなく、どこまで生きるか分からないことへの備えを、“何歳までいくらで買うか”という見方で考えることも重要だ。85歳という手取りの分岐は、その値段を知るための1つの材料になるだろう。
※在職老齢年金、在職定時改定、経過的加算、特例的な繰下げみなし増額制度は日本年金機構、後期高齢者医療の窓口負担は厚生労働省、骨太方針は内閣府の資料による。試算は単身・2026年度の水準で固定した概算で、税額と保険料は自治体や個人の状況で変わる。
【合わせて読みたい】
・「繰下げ受給」は何歳まで? 男性68歳・女性70歳を超えると手取りが減る!?
・「繰下げ受給」は何歳まで(2) 実は基礎年金のみ繰下げがお得な場合も 加給年金の注意点
・「106万円の壁」10月に消滅 変わる人・変わらない人はここで分かれる







