登山と修験道――日本人が山に求めるもの、登る意味

新型コロナによって登山者数は減少したものの、規制がなくった今年はインバウンド需要もあったその数は増えそうだ。実際、2023年の富士山登山者数は4万人超えで、ピーク時に迫る登山者数になっている。とくに中高年層の登山の愛好家が多い。そんな日本人にとって山と宗教は切っても切れないものがあった。日本人にとっての山、登山に求めるものとは。

正木晃2023/09/23

日本固有の民衆宗教「修験道」

日本には古来、修験道と宗教が伝えられている。修験道を学問的に定義すると、「日本古来の山岳信仰に、神道や外来の仏教、道教、陰陽道などが混淆して成立した日本に固有の民族宗教」である。そして、長きにわたり、民衆仏教の主たる担い手でありつづけてきた。

修験道の「験」は「しるし」と読み、超人的な力を意味する。この力を修験者は自然の中で、とりわけ深い山中で厳しい修行をすることで獲得し、さまざまな苦にあえぐ人々を救ってきた。深い山中で起き伏しすることから、「山伏」とも呼ばれてきた。

前述の「七霊山」としてあげた山々はいずれも修験道の行場であった。とりわけ大峰山と釈迦ヶ岳は、北の吉野と南の熊野をむすぶ「大峰おくがけ奥駈道」の経路に聳え立ち、今なお行場として機能している。

大峰奥駈道を進む行者たち

富士山もまた、長らく修験道の行場であった。特に江戸時代になると、江戸在住の庶民が「講」と呼ばれる組織をつくり、集団で登拝した。これが「富士講」だ。
わけても江戸中期に登場した身禄行者(1671-1733)が「世のおふりかわり」、つまり世直しを主張して江戸庶民から熱狂的な支持を得たこともあって、富士講は爆発的に広がった。全盛時には、江戸八百八町に八百八講があったという。ちなみに、身禄は「弥勒」を踏んでいる。

東アジアでは、弥勒信仰は革命思想と結びつきやすく、中でも中国では隋や元が弥勒信仰に基づく民衆運動によって大打撃を受け、滅亡の道をたどっている。
身禄行者は富士山7合5勺目(現在は吉田口8合目)にある烏帽子岩で断食行を行い、35日後に入定した。この場合の入定とは、身体を保ったまま、5億6千7百万年後の弥勒の下生を待ち続けることを意味する。
ちなみに、弥勒下生は56億7千万年後とよく書かれているが、中国古代の「億」は「千万」の意味なので、実際は5億6千7百万年後となる。

高尾山の富士山徒歩練行

世界中で都心に最も近い聖地として、ミシュランで紹介された高尾山(真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺)は、もともと修験道の拠点であった。その証拠に、高尾山には「修験部」が設置され、現在の貫首をつとめる佐藤秀仁師はもちろん修験者である。

その高尾山の修験部では、平成20(2008)年から、高尾山奥の院不動堂裏手の富士浅間社を出発し、富士山頂浅間大社奥宮に至る、高尾山山伏による徒歩練行(往復約160km)の執行を開始した。私自身も2009年度の徒歩練行に参加した体験をもつ。

高尾山富士山登拝

具体的な行程は以下のとおりである。

1日目:5:30 早朝護摩出仕 高尾山浅間神社で法楽(主に般若経の読誦)→17:30宿泊(旧秋山村)所 35km
2日目:6:00出発→16:30宿泊所(富士吉田市) 25km
3日目:9:00出発→9:20富士吉田北口本宮参拝(法楽)→17:40宿泊所(5合目) 20km
4日目:7:00出発→13:30 8合目宿泊所 5km
5日目:2:00出発→4:00山頂浅間神社奥宮参拝(法楽)→4:25御来光(法楽)→12:00下山15km→高尾へ(乗車)

富士登山というと、5合目から登る方が多いが、実は富士吉田北口本宮から5合目までの方が緑豊かで、修験道が目指してきた自然との一体感があり、歩いていてとても気持ちが良い。
昨今、富士山は弾丸登山で山頂を目指す人も多いが、行者の歩いた道で登ってみると、違った富士登山の意味に気づけるのではないだろうか。

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この記事を書いた人

正木晃

正木晃宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』『[現代日本語訳]浄土三部経』『[現代日本語訳]日蓮の観心本尊抄』(いずれも春秋社)、『密教』『詳説 日本仏教13宗派がわかる本』(いずれも講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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