高輪・品川地区をはじき出された京急
そんな京急だが、不動産事業は儲かると、横浜シフトとの東京シフトを目指してきたが、この構想も股裂きのようにも見える。
かつて京急の本社は、いまや巨大開発が進む高輪・品川地区にあった。しかし、この地に、日本有数の拠点駅や操車場を持つJR東日本のパワーは絶大で、山手線の高輪ゲートウェイ駅を中心に再開発が進み、結果的に京急は横浜市に本社を移す選択をした。
また、台場に高級ホテル(メディリアン)を持っていた。隣の円形の東京ニッコーホテルと対照的な板型の高層ホテルだったが、その後、訪日客による都心のホテルブームが起きたものの、ヒューリックやリース会社に取引され、ニッコーホテルはヒルトンになり、京急の持っていたホテルが日航の名を冠するややこしい関係になった。このホテルの取引価格は急上昇。
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京急としては、労使問題などさまざまなことがあって台場を撤退せざるをえなかったものの、いまの台場の状況をみると残念な話だろう。
加えて、京急は横浜移転後、社長が横浜商工会議所を舞台に横浜の山下埠頭へIR(カジノ)を誘致する旗を振ったが、実現はしなかった。
羽田~成田直通のアドバンテージもなくなる
やることが裏目に出ているような京急だが、先のライオン本社跡地のマンション開発など都内の事業に注目が集まる。なかでも、JR新橋駅の東口において、24年に再開発準備組合ができた。
この再開発の主な事業の1つが、老朽化した新橋駅前ビルの建て替えだ。同ビルと周辺地は、東京都と京急グループが主な権利者だが、その実態はあまりよく知られていない。
京急はドル箱路線として京急蒲田から羽田空港を結ぶ京急空港線を有し、この路線は都営浅草線に乗り入れ新橋はその経由駅。さらにその都営浅草線は京成路線を通り、成田空港に通じている。
とはいえ、これで安泰かというとそうはいかない。京急が危機感を募らせているのが、JR東日本の存在だ。
京急が横浜に本社を移転させる契機のひとつとなったのは、前述のしたように高輪ゲートウェイ新駅の周辺のJR東日本の超大規模開発だった。しかし、京急の心胆を寒からしめるものはそれだけではない。
それは2031年にJR東日本が高輪界隈から羽田界隈につながる貨物線を空港アクセス線としては開業させる計画だ。
この路線が開通すればJR東日本は独力で羽田と成田の空港をつなげることになる。さらに、横浜湘南方面や都内各所から成田へのJRの特急アクセスがすでにサービスを始めているおり、横浜~羽田~都心~成田が一気に繋がる。
こうなっては羽田~成田を繋ぐ京急のアドバンテージは少なくなる。