本社を都心から移す私鉄各社
この開発も含めて、最近のマンション開発を見ていると、私鉄本社の「脱東京」「脱都心」が潮流になっているようだ。
具体的には、新宿拠点の京王電鉄は聖蹟桜ヶ丘へ移転し、新宿の百貨店跡地の再開発に不動産事業の全力を挙げている。
国際空港のある成田と東京(羽田/都営浅草線、京浜急行等と接続)を結び上野に本社があった京成電鉄は、千葉県市川市に引っ込んだ。
東京都多摩地区に沿線が多い西武鉄道も所沢に移転。東武は、自社の不動産開発で命運を賭けたスカイツリー一帯の開発事業に沿ってスカイツリーの隣接地に移った。
そして、京急はというと、高輪・品川エリアから横浜市に本社を移転。京急社長は横浜商工会議所の幹部としてIR(カジノ)の横浜誘致の旗振り役をしたが、残念ながらカジノは実現できなかった。
京急の三浦半島一周構想
戦前は、関東、関西を中心に数多くの独立経営の中小私鉄があったが、大手に統合されてきた。
なかでも関東での西武鉄道の堤家と、箱根などのリゾート地開発を巡って競った東急電鉄の創始者の五島慶太が次々と買収を重ねてきたことは有名で、その五島慶太は“強盗・慶太”とも揶揄された。西武も資本外の路線を包み込んで、軽井沢の朝香宮家の別荘取得が「プリンスホテル」の名前の始まりだった。
このように私鉄が増えるなかで各社は大風呂敷を広げていく。
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京急本線は京急品川駅発で、終点が三崎口。一方で、本線の途中の金沢八景駅からは、路線が枝分かれし、逗子・葉山駅まで伸びている。その昔は、逗子、葉山駅と三崎口駅をつなげる構想もあったといわれ、三浦半島一周線構想を断念したのは、バブル崩壊後のこと。
いまでは三浦市や横須賀市では人口減少が進み、横浜市も南部を中心に人口が減り、2年連続の人口減に見舞われている。